ステップ3福音とは?


福音は「良い知らせ」という意味の言葉です。

一般的に良い知らせは、良いアドバイスとは違います。良いアドバイスは、何をすれば良いのかを教えるものです。しかし、良い知らせは、私たちの現実を変える良い出来事がすでに起きたと知らせてくれます。


「良いアドバイス」と「良い知らせ」の例をそれぞれ挙げてみてください。


聖書が私たちに伝えているのは、良い知らせです。福音は聖書全体の中心的なテーマです。その中でもパウロがローマのクリスチャンたちに書いた手紙は、福音を理解し、なぜそれが私たちにとっても良い知らせなのかを知るための大きな助けになります。

福音とはイエスの死と復活という良い知らせで、イエスが世界の真の王であり、イエスを通して神が世界を救う働きをしていると宣言しています。1このメッセージは、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。2

イエスの福音が良い知らせであることを理解するためには、まず初めに悪い知らせを理解する必要があります。なぜ私たちには救いが必要なのでしょうか。

悪い知らせ:人間の抱える問題とその結果(ローマ人への手紙1章18節-3章20節)

何が問題なのか?

神は初めに人をとても良い存在として造りました。しかしある問題がそれを大きく変えてしまいました。3そして、世界は、悪、不正義、虐待、強欲、憎しみ、暴力、自己中心などで溢れてしまいました。まるで人類全体が心も頭もおかしくなる病気にかかってしまったかのようです。その問題とは何かを正直に考えてみると、それは私たちの外側の世界にあるだけではなく、自分の内側にもあることに気がつきます。そうです、私たちも問題の一部なのです。この問題こそ、聖書が罪と呼んでいるものです。

聖書が書かれた言語では、「罪」と訳される単語は「的をはずす」や「不十分」という意味の言葉で、例えば矢が的を外した時などに使われました。では、私たちにとっての的である人生の目的とは何なのでしょうか。私たちを造った神が与えた人生の目的は、神と人に対して正しく生きることです。神がそのような目的を私たちに与えたのは、私たちがどう頑張っても達成できない目標を与えて落ち込ませるためではなく、私たちに最高の人生を与えるためでした。神のデザインの通りに生きることは、私たち自身にとっても、周りの世界にとっても最高のことです。しかし、悪い知らせがあります。私たちはこの的を外してしまいました。私たちは的を外して罪を犯し、神が与えようとしていた最高の生き方を失ってしまいました。

ローマ人への手紙1章18節

というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

ここから罪には2つの面があることがわかります。それをパウロはふけいけんふぎ「不敬虔」と「不義」と呼んでいます。不敬虔とは、神を正しく神として敬わないことです。不義は、他の人を神に造られた存在として正しく大切にしないことです。

ローマ人への手紙1章21-25節

彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

今読んだ部分では、罪の1つ目の面が書かれています。それは、神を否定し、無視し、造られたものを神の代わりにしてしまうことです。ですから罪とは、神にではなく神が造ったものに忠誠を誓い、自分の存在意義や価値を神以外から得ようとすることです。それは例えば、お金、仕事、恋愛であったりします。これらは神からの素晴らしい贈り物ですが、私たちがそれを神以上に大切にしてしまう時に、それは王である神に逆らうことになります。4

そして、神を神として認めることも、あがめることもしないため、私たちは人にも正しく接することができません。

ローマ人への手紙1章28-31節

また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。

ここでは、罪の2つ目の面である人に対する罪が語られています。人間は本来であれば、互いに大切にし合い、励まし合い、助け合い、愛し合うために造られています。しかし私たちは、互いをぞんざいに扱い、批判し合い、傷つけ合い、憎しみ合っています。心の中でも、行動や言葉でも、人を大切にしないことは罪です。

聖書には神がイスラエルに与えた律法として、神が人に求めている基準が書かれています。5イエスは神の律法をまとめると、神を愛し、人を愛することになると教えました。6しかしパウロはローマ人への手紙の2章で、この基準を知っているだけでは正しく生きるための何の助けにもならないと言っています。神の律法は正しい生き方を教えてくれる良いものですが、それに完璧に従う力を与えてくれるわけではありません。むしろ私たちの抱えている罪の問題を浮き彫りにします。現実には、律法を知っている人も罪を犯し、律法を知らない人も罪を犯しました。7

ここで大切なのは、すべての人が罪に侵されているということです。

多くの問題に共通することですが、問題を解決するためにはまず、問題を認識して助けが必要だと認めることが必要です。神が私たちに罪の問題を教えてくれるのは、私たちを絶望に突き落とすためではなく、私たちを助けるためです。


聖書が罪について語っていることは、この世界の問題についてのあなたの考えとどのように一致していますか。

あなたのうちにある罪の症状について、どのように思いますか。


罪の結果は?

罪は病気にたとえることもできますが、本質的には王である神に逆らうことです。ローマ人への手紙の1章から3章は、病気の診断というよりは法廷における裁判のように罪について語っています。人間は裁判にかけられ、有罪と宣告されました。

では、有罪である私たちが、神をあがめず人を大切にしないことの結果、何が起きるのでしょうか。

これは悪い知らせで、最悪の結末が待っています。聖書は、私たちの罪の結果は神の怒りとさばきであり、最終的には死であると言っています。

ローマ人への手紙1章18節

...人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

ローマ人への手紙1章32節

彼らは、そのような行いをする者たちが死に値するという神の定めを知りながら、...

ローマ人への手紙2章2-3節

そのようなことを行う者たちの上に、真理に基づいて神のさばきが下ることを、私たちは知っています。...あなたは神のさばきを免れるとでも思っているのですか。

ローマ人への手紙2章5節

あなたは、頑なで悔い改める心がないために、神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、自分のために蓄えています。

ローマ人への手紙2章8-9節

...利己的な思いから真理に従わず、不義に従う者には、怒りと憤りを下されます。悪を行うすべての者の上には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、苦難と苦悩が下り、...

ローマ人への手紙2章16節

私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです。


神が世界をさばき、一人ひとりの生き方を評価する日がきます。その日には、イエス・キリストが地上に戻ってきて、今まで存在したすべての人がよみがえり、イエスの前に立って「さばき」を受けます。輪廻転生も、死後のセカンドチャンスもありません。

私たちは他の人と比べてではなく、神の基準と比べてどう生きたかによってさばかれます。私たちの良い行いと悪い行いとが天秤にかけられるのではなく、私たちの人生全体が神の完璧な基準によって判断されます。8

罪の最終的な結果は「死」です。それは肉体が死ぬだけではない、永遠に続く霊的な死で、地獄で神から永遠に引き離されることです。


ローマ人への手紙6章23節

罪の報酬は死です。


良い知らせ:神の救い(ローマ人への手紙3章21-26節)

私たちは神に対しても、人に対しても正しく生きることができません。ですから、神の正しいさばきを受けるべき存在です。しかし良い知らせがあります。神がそこに介入してきてくれました。神は私たちを救うために、イエスを遣わしてくれたのです。イエスの人生、死、復活という歴史上で実際に起きた出来事が、私たちの運命を変える扉を開きました。神が私たちの物語を書き換え、新しい結末を与えてくれました。だから、私たちは新しい人生を生きられるのです。これが良い知らせです!それを聖書はこう書いています。

ローマ人への手紙3章21-26節

しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、あがな神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。

今読んだ聖書の言葉がいまいち理解できなかったとしても、心配しないでください。ここは聖書の中でも、最も奥深くて素晴らしい部分の1つです。この中からいくつか鍵となるフレーズを見て、なぜ福音が信じるすべての人に救いをもたらす神の力なのかを学んでいきましょう。

神の義-イエスを通した神の救いは、神の義を明らかにします。ここで神の義は、2つのことを指しています。まず初めに、神は義であるので人の罪を罰することなく見過ごしたり赦したりすることはありません。そうでなければ、神は正しい存在ではなくなってしまいます。2つ目に、神は人間を含む世界を捨てることはしません。神は人を神との特別な関係のために造り、世界の中で神の栄光を現すための特別な役割を与えました。そして神はこの目的に生きられるように私たちを救うと約束してくれました。だからこそ、義である神は必ずこの約束を守ります。神が「義」として罪を罰しながらも、人を「義と認める」唯一の方法は、神の子イエス・キリストを通して神が自分で人間の罪に対する罰を受けることでした。神の義が、イエスを通して世界を救うようにと神を動かしました。

贖い-贖いとは、奴隷が解放される時などに使われる言葉です。人間は罪と死の奴隷のようになっています。良い知らせは、そこから神が自由を与えてくれるということです。贖いという言葉は、旧約聖書に書かれている神がイスラエルを奴隷の状態から助け出したことを連想させます。9また、良い人が奴隷を買い取って自由にし、自分の家族に養子として迎え入れることも贖いのイメージです。

義と認められる-神は私たちの罪を赦して、罪人という立場を消し去ってくれただけではなく、義という新しい立場を与えてくれました。神は私たちを無罪と宣言するだけでなく、正しい存在として宣言してくれたのです。

この宣言には少なくとも3つの意味があります。

  1. 法的な意味で正しい者と宣言される。私たちは罪人であったのに、神は私たちを正しい者と宣言してくれました。

  2. 神との関係において正しいと宣言される。神は、私たちが神との正しい、良い関係を持っていると宣告してくれました。

  3. 最終的な意味で正しいと宣言される。神が今与えてくれている宣言は、さばきの日の最終的な宣言と同じものです。

宥め-罪を犯した人間を正しいと認めるための唯一の方法は、神が自分自身で人間の罪の罰を受けることでした。そのために神はイエスを宥めのささげものとしました。そして、神の罪に対する正義の怒りが、イエスに注がれました。イエスは私たちの身代わりとなり、私たちの罪への罰を代わりに引き受けてくれました。

信仰によって受ける-どのようにしたらこの素晴らしい救いを受け取れるのでしょうか。その唯一の方法がイエスを信じる信仰によってです。「律法とは関わりなく」と言われているように、どれだけ良いことをしてもそれで救いは得られません。救いは「、神の恵みにより」プレゼントとしてもらえるものです。10私たちはそれを、イエスを信じることで受け取ることができます。

イエス以外に救いの道はありません。11神が与えてくれたイエスの犠牲を信頼するようにと教える宗教は他にありません。人生でどれだけ良いことをしようと努めても、神の前で正しくなることはできません。そんな私たちに神との正しい関係を与えるために、イエスの死と復活が罪の問題を解決してくれました。だからこそ、イエス・キリストを信じることで、誰でも救われることができます。


イエスの十字架の死が、罪によってできたへだたりに橋をかけ、神と私たちとの関係を回復させてくれます。イエスを信じることは、この橋を渡ることです。


これだけのことを神があなたのためにしてくれたと考えると、どのように感じますか?


新しい現実:新しい現在と新しい未来(ローマ人への手紙4章〜8章)

イエスの良い知らせは、私たちが破滅の運命を免れるということだけではありません。神は私たちに最高の結末を用意してくれています。そしてそれは、結末というよりもむしろ新しい始まりです。つまり、新しい人類と新しい創造です。

新しい人類

壊れた人類の中から、神はイエスにある新しい人類を造りました。それが、同じイエス・キリストへの信仰によって多くの民族の人々が結び合わされたコミュニティーです。

イエスを信じた人は洗礼を受けます。12洗礼は、私たちが古いものから新しくされ、死からいのちへと移されたことを表しています。

ローマ人への手紙6章3-4節

それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。

ここで「新しいいのち」と表現されているのは、罪の奴隷の状態から解放された人生です。私たちは、イエスの復活と御霊の力によって変えられることで、神と人を愛するという神の基準に従えるようになります。13それによって私たちはようやく、神に与えられた目的の通りに生きられるのです。14

新しい創造

罪の問題を抱えているのは人類だけではありません。創造されたすべてのもの(この宇宙のすべて)が罪によって堕落してしまっています。世界は罪の結果である、病気、災害、破壊、痛み、悲しみ、虚しさ、腐敗、死などに囚われています。

福音ははっきりと、イエスが真の王で、イエスの死と復活を通して神が世界のすべてを救うために働いていると宣言しています。

神は新しい創造をまずイエスの復活の体から始められました。そしてイエスを信じるすべての人をキリストにあって新しい創造としてくれました。15それでも私たちはまだ壊れた世界の中で、壊れた体を持って生きています。

ですが、新しい創造の時がきます!

ローマ人への手紙8章18-25節

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

イエスはこの世界をさばくために戻ってきます。その時に神は、神の造った良い世界を傷つけている悪を全て取り除き、世界を栄光に満ちた完全な場所へと造り直します。そしてイエスを信じた人々には、新しい完全な体が与えられます。16その時に私たちは、新しい創造である完全な世界に住み、神と真の王であるイエスと共にいることになります。これがイエスを信じる人に福音が与える希望です。

私たちの応答結論

私たちが自分のしてしまったこととその結果に向き合い、そんな私たちに神がしてくれたことや神が与えてくれた新しい運命を考えると、神は確かに私たちを愛していると気がつきます。17

イエスは真の王であり、イエスを通して神が世界を救う働きをしています。この全てを変える良い知らせは、私たちの応答を待っています。

ローマ人への手紙10章9節

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。

福音はイエスが主であると告げます。イエスはすべての人とすべてのものの真の王です。「イエスを主と告白」することは、「イエスは私の主、私の真の王です」と宣言することです。イエスを主として従うことは、他の何よりもイエスを大切にして、誠実にイエスについて行くことです。そうするためには、悔い改めて罪から離れ、イエスに従う必要があります。唯一本物の神が、イエスをよみがえらせることでイエスが主であると明らかにしました。これを信じるときに、私たちはイエスに従いたいと思います。

このプレゼントを受け取りたいと思いませんか?以下の質問を考えてみましょう。

  1. すべてを造った、唯一の真の神を信じますか?

  2. イエスは神が人となった存在で、世界の真の王である

    キリストだと信じますか?
  3. あなたには罪があり、神の正しいさばきを受けるべき存在だと信じますか?

  4. イエスがあなたの罪のために十字架にかかって死んだことを信じますか?

  5. イエスが死から復活したことを信じますか?

  6. イエスを自分の主として告白しますか?

  7. あなたは自分の罪を悔い改めますか。そして洗礼を受け、新しいいのちに歩みたいですか?

もしあなたがこのイエスによる救いのプレゼントを受けとりたいのなら、今日それをすることができます。ぜひ周りのクリスチャンや牧師にそれを伝えてください。


1ローマ人への手紙1章1-4節

2ローマ人への手紙1章16-17節

3ステップ4で何が間違ってしまったのかを詳しく学んでいきます。

4神を知らなかったということは言い訳になりません。ローマ人への手紙1章19-20節

5出エジプト記20章1-17節、またステップ4

6マルコの福音書12章29-31節、またステップ2

7ローマ人への手紙2章1節-3章20節

8ヤコブの手紙2章10節

9ステップ4

10エペソ人への手紙2章8-9節

11ヨハネの福音書14章6節、使徒の働き4章12節、ヨハネの手紙第一5章12節

12洗礼を受けるとは、水に浸されるということです。「弟子として歩み出す:洗礼準備ガイド」を参照(ページ128)。

13ローマ人への手紙8章3-4節とステップ4

14エゼキエル書36章25-27節、ローマ人への手紙6章17-18節、ピリピ人への手紙2章12-13節を参照。

15コリント人への手紙第二5章17節を参照

16コリント人への手紙第一15章35-58節、コリント人への手紙第二5章1-10節、ピリピ人への手紙3章20-21節、ステップ4

17ローマ人への手紙8章31-39節