ステップ2イエスとは何者か?


イエスについてどんな印象を持っていますか?


ナザレのイエスという歴史上の人物の存在について歴史学者たちの意見は一致していて、イエスという人がいたことは学術的に確かなことです。

イエスについて一般的に知られている事実:

  1. イエスは紀元前4年ごろに、イスラエルの小さな町、ベツレヘムで生まれました。

  2. イエスはイスラエル人(ユダヤ人)で、旧約聖書に書かれている神を信じていました。

  3. イエスは貧しく、財産はほとんどありませんでした。

  4. イエスは生涯独身で、子どももいませんでした。

  5. イエスは30歳ごろまで、肉体労働で生活をしていました。

  6. おおよそ30歳から33歳ごろまで、イスラエル各地を旅して周り、神の国について教えました。

  7. 33歳の頃に、当時のユダヤとローマの権力者たちによって十字架で処刑されました。

  8. イエスは1冊も本を書きませんでしたが、イエスについて書かれた本は歴史上のどの人物よりも多いです。

  9. イエスは世界を旅して回ったわけではありませんが、イエスのことは世界中に伝えられています。


福音書聖書には、イエスの人生について書かれた福音書と呼ばれる本が4巻

あります。それが「、マタイの福音書「」マルコの福音書」「ルカの福音書」「ヨハネの福音書」です。

福音書には、イエスを実際に間近で目撃した人(マタイとヨハネ)によって書かれたものと、目撃者の話を調べた人(マルコとルカ)によって書かれたものとがあります。「福音」という言葉は「良い知らせ」という意味です。福音書は、イエス・キリストの人生、死、そして復活という良い知らせを伝える本です。1

マタイとルカの福音書には、イエスの誕生の話と子ども時代の短い話が書かれています。しかし福音書がほとんどのページを費やして書いているのは、イエスの3年間の宣教活動についてです。なのでここでは、福音書の大きなメッセージであるイエスの人生を、イエスの行いと教えとに分けて見ていきましょう。

「福音」という言葉は「良い知らせ」という意味です

イエスの行ったことイエスは多くの奇跡を行いました。イエスは病人を癒やし、目の見えない人の目を見えるようにし、足の不自由な人を歩けるようにし、水の上を歩き、嵐をしずめ、死人をよみがえらせました。

マタイの福音書15章30節

すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。

イエスは自分の弟子として従ってくるようにと人々に呼びかけました。そして多くの群衆がイエスの弟子となる中で、12人を特に近い弟子として選びました。2

イエスは誰でも分け隔てなく愛し、あわれみました。当時の社会では低く見られていた女性や子どもたち、貧しい人たち、やもめ、ツァラアトという皮膚病に冒されている人たちを大切にしました。3

マルコの福音書1章40-42節

さて、ツァラアトに冒された人がイエスのもとに来て、ひざまずいて懇願した。「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり「、わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えて、その人はきよくなった。

イエスは「罪人」の友となりました。

当時の宗教的な社会では、収税人や売春婦のような人々は、神の赦しを受けることのできない罪人として差別されていました。イエスはそのような人たちに神の赦しを伝え、友人として付き合いました。

マルコの福音書2章15-17節

それからイエスは、レビの家で食卓に着かれた。取税人たちや罪人たちも大勢、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。大勢の人々がいて、イエスに従っていたのである。パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしているのを見て、弟子たちに言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」これを聞いて、イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」

イエスは、宗教的な人たちの偽善と腐敗に立ち向かいました。

金持ちや宗教的な指導者たちに神の心を持って貧しい人たちを大切にするように教え、富と権力を他の人たちのために使うようにと言いました。さらにイエスは、神の宮を利用して金儲けしていた人たちを追い出して、神の宮を清めました。4


イエスの行ったことの中で、初めて聞いたことや驚いたことはありますか?


イエスの教えたことイエスは、神の国の良い知らせを教えました。

マルコの福音書1章14-15節

...イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

「神の国」の知らせは、イエスの時代のユダヤ人にとっては力強い希望のメッセージであり、今の私たちの希望でもあります。なぜならまことそれは、世界の真の王でありすべてを創造した神の素晴らしい支配が、天だけではなくこの地上にも来るという知らせだったからです。それは、罪が赦され、悪が滅ぼされ、神に属する人々の正しさが証明され、神が正義によって世界を治めるということでした。5

イエスは神の国の生き方は愛であると教えました。

イエスは、聖書の中で一番大切な教えは何かと聞かれたときに、このように答えました。

マルコの福音書12章29-31節

「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」

イエスが神の国の生き方として教えたのは、まず自分のすべてで何よりも神を愛すること、そして、自分がして欲しいように他の人を愛することです。ですから、神を王として従って生きるのであれば、人生の中心は愛になります。神や人を愛さないことを聖書は罪と呼んでいます。イエスは罪を犯しませんでした。福音書やイエスと時間を一緒に過ごした人の証言を読むと、イエスが愛についての教えを完璧に実践していたことがわかります。6

イエスは、自分が神の国の真の王であると教えました。

マルコの福音書8章27-31節

さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイサリアの村々に出かけられた。その途中、イエスは弟子たちにお尋ねになった。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」彼らは答えた。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人たちや、預言者の一人だと言う人たちもいます。」するとイエスは、彼らにお尋ねになった。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロがイエスに答えた。「あなたはキリストです。」するとイエスは、自分のことをだれにも言わないように、彼らを戒められた。それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

「キリスト」とは、イエスの名字ではなく、真の王を意味する肩書きです。今の旧約聖書にあたるイエス以前のヘブライ語聖書では、世界を正し、地上に神の国を打ち立てるためにキリストと呼ばれる王が来ることが預言されていました。ですから、イエスの時代の多くのユダヤ人は、神がキリストを遣わすのを待っていました。しかし多くの人がキリストとして思い描いていたのは、武力で敵を倒して彼らに自由を与えてくれる軍事的なリーダーでした。

今読んだペテロの言葉のように、イエスは自分がキリストであると認めましたが、それが人々の想像とは違うことを説明しました。イエスが来たのは、イスラエルを政治的に救うためではなく、世界を最大の問題である罪と罪の結果から救うためでした。そして、その救いは軍事力によってではなく、イエスが死に、よみがえることによって成し遂げられるとイエスは教えました。


今まで見てきた3つのうち、どのイエスの教えが1番心に響きましたか?


イエスは人間なのか、神なのか?イエスは何者なのかを考えていく中で中心となるのが、イエスはただの人であったのか、それとも神なのかという質問です。

新約聖書ははっきりと、イエスが真の神であり真の人であると教えています。

このイエスの性質について教えている聖書の箇所はたくさんあります。7例えば、ヨハネの福音書は、このイエスの性質を宣言して始まります。ここでヨハネは、「ことば」という詩的な表現でイエスのことを呼んでいます。

ヨハネの福音書1章1節、14節

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあったことばは神であった。...ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

またイエス自身も自分が神であると何度も言及しています。8イエスが人であり神であることは、何よりもイエスが真の王であるということに現れています。旧約聖書には、真の王がやって来るという昔の預言が書かれていました。その預言によると、真の王はイスラエルと人類を代表する存在となり、神に完全に従うという他の誰にもできなかったことをなし遂げます。また神は、神がいつか世界と神の民を救うためにやって来るという約束もしていました。イエスは神の現れ(神が人となった存在)として、神の希望の約束を果たすためにこの世界に来ました。そして、真の王として世界を救うためにご自身の命を差し出してくれました。

イエスは真の王として、人類の代表でありながらも人となった神であり、真の人であり真の神なのです。イエスは十字架にかけられる前に自分の正体を聞かれたときに、それが死につながることを知りながらも本当のことを語りました。

マルコの福音書14章61B-64節

大祭司は再びイエスに尋ねた。「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」そこでイエスは言われた。「わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」すると、大祭司は自分の衣を引き裂いて言った。「なぜこれ以上、証人が必要か。あなたがたは、神を冒瀆することばを聞いたのだ。どう考えるか。」すると彼らは全員で、イエスは死に値すると決めた。

イエスの死という良い知らせイエスの死は歴史上の出来事であり、聖書以外の文献にも記されています。4つの福音書もイエスの死について詳しく書いています。イエスは夜中に行われた不正な裁判で裁かれ、金曜日の午後に十字架にかけられて処刑されました。


ルカの福音書23章33-47節

「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。「これはユダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」さて、時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。太陽は光を失っていた。すると神殿の幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、「本当にこの方は正しい人であった」と言った。

なぜイエスは殺されたのか?イエスは人々を癒やし、あわれみ、愛について教えていたのに、なぜ殺されてしまったのでしょうか。当時のユダヤの指導者たちは、イエスがキリストであるということを受け入れず、むしろ彼らにとっての脅威であると感じていました。そして何よりも、イエスが言葉と行動で自分が神であると主張していたため、殺す必要があると考えました。

ヨハネの福音書10章33節

ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒瀆のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」

イエスは自分の死についてなんと言っていたのか?

先ほど読んだように、イエスは自分の死をあらかじめ知っていて、それが神の計画によるもので、世界を救うために必要だと知っていました。弟子たちとの最後の晩餐の時に、イエスが自分の死について教えたことを読んでみましょう。

マタイの福音書26章26-28節

また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。...」

契約-契約とは神が人々と結んだ特別な関係のことです。聖書では、神が人を創造したときに人に与えた役割や、神が罪深い人類と壊れた世界を回復させるという約束が、契約という言葉にまとめられています。ですからここでイエスは、創造主である神が愛によって世界を救う方法がイエスの死であると言っています。

罪の赦し-罪は私たちの抱える最大の問題で、神と人との関係を壊し、この世界の痛みや死の原因になっています。人が神との特別な関係を回復され、神に与えられた役割のために生きるには、罪の赦しが必要です。

多くの人のために-ここでイエスが教えているのは、イエスの死が、多くの人のための一度限りの身代わりの死であるということです。イエスは、人の罪に対する罰を代わりに受けて、神から引き離されて死にました。それによって、私たち人間と神との関係を修復してくれました。

イエスの死は誰のためのものか?

イエスは「多くの人のために」死にましたが、そこには誰が含まれているのでしょう。答えはイエスを信じるすべての人です。イエスを信じる人はどんな人でも、すべての罪を赦され、神との正しい関係を持つことができます。

ヨハネの福音書3章16節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」


イエスの死について学んでいく中で、初めて聞いたことや、新しい理解に繋がったことはありますか。


イエスの復活という良い知らせ1世紀に十字架にかけられて処刑された人は、イエスの他にも大勢いました。その中でもイエスが特別なのは、十字架で死んだ後に復活したと弟子たちが主張したからです。

ルカの福音書24章1-7節

週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。見ると、石が墓からわきに転がされていた。そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」

その日のうちに、復活したイエスは弟子たちが集まっているところに現れました。

ルカの福音書24章36-43節,46-47節

これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。...[それからイエスは]こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』」

死んだ人がよみがえったなんて、信じられないかもしれません。イエスの復活は、弟子たちにとっても予想外の出来事で、弟子の中にもなかなか信じられなかった人もいました。けれども弟子たちは復活したイエスに会い、手で触り、その声を聞き、ナザレのイエスは死んだが3日目に本当に復活したんだと確信して宣べ伝えました。

今でもクリスチャンは、イエスの復活を歴史上の事実として信じています。イエスの復活については、4つの福音書以外にも書かれていて、例えば聖書に収められている初期のクリスチャンの手紙には、このように書かれています。

コリント人への手紙第一15章3-6節

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。

イエスの復活について一般的に知られていること

  1. イエスの墓は空になっており、誰も死体を見つけることができませんでした。

  2. イエスの兄弟であるヤコブとユダはイエスを信じていませんでしたが、復活したイエスに出会ったことで考えを変え、イエスを主として礼拝しました。

  3. イエスが処刑された後、弟子たちは恐怖のあまり隠れていましたが、復活したイエスに出会って、イエスが生きていることをあらゆる人に伝え始めました。彼らは殺されても意見を変えないほどにイエスの復活を確信していました。

  4. イエスに敵対してクリスチャンを迫害していたような人でも(タルソのサウロなど)、復活したイエスに出会い、悔い改めてイエスの弟子になりました。

これらが、イエスが実際に復活したことを裏づける証拠です。もしイエスの復活が作り話だとするなら、これらの理由を説明するのは難しいです。9

イエスは復活してから40日間を弟子たちと共に過ごしました。そしてその後、天に昇り、世界の真の王として、父なる神の右の座に着いています。10

イエスの復活にはどんな意味があるのか?イエスの復活が示しているのは、世界の造り主である神がイエスキリストを通して愛する世界を救うために、歴史の中で決定的な働きをしたということです。

イエスの復活は次のことを意味しています。

•人間の罪の問題が解決したこと

•罪の結果である死が打ち破られたこと

•「死者の中から最初に復活した」イエスを初めとして、神が世界をつくり直す新しい創造を始めたこと

•イエスキリストを信じるすべての人が赦され、永遠の命を与えられ、神によって新しく造られた者とされたこと

聖書はこのように言っています。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

イエスの人生、死、復活という良い知らせは、神がイエスを信じるすべての人のためにいのちの扉を開いてくれたという知らせです。

ここまでイエスの人生、死、復活についてのまとめを見てきました。しかし、イエスを知るための一番の方法は自分で聖書の福音書を読むことです。ぜひ、マルコの福音書から読み始めてみてください。


初めに、イエスにどんな印象を持っているのかをお聞きしました。このレッスンでイエスの印象はどのように変わりましたか?イエスについて他に知りたいことがありますか?


1四つの福音書は歴史を通じて、細心の注意をもって保存されてきました。他の古代の文献と比べると、現代の聖書に翻訳されている福音書の信頼性がはるかに高いことがわかります。福音書は5000以上の写本を元に復元されていて、写本の中にはイエスの死後100年以内のものもあります。さらに最新の考古学的発見や歴史学の成果は、4つの福音書の歴史的信憑性を裏付け、次々と立証しています。また、イエスの初めの弟子たちの無知や失敗が隠さずに書かれていることも、福音書に書かれている内容が真実であることを支持しています。もし福音書が作り話であるならば、初代教会のリーダーであったイエスの初めの弟子たちについてもっと都合の良い内容となっていたでしょう。ですから、今の聖書に収められている福音書は、イエスの生涯と教えを伝える信頼できる記録だと言えます。

2マルコの福音書1章16-20節

31世紀のツァラアトはとても伝染力の高い皮膚病でした。ツァラアトにかかると、町外れの隔離施設に入れられ、家族や友人にも会うことができませんでした。社会から隔離され、多くの人が孤独と恥の中で一生を終えました。

4ルカの福音書19章45-48節

5イエスは多くのたとえ話を用いて神の国について教えました。詳しくはマルコの福音書の4章。

6ペテロの手紙第一2章22節。また、マタイの福音書4章1-11節には、イエスが罪を犯させようとする悪魔の試みに打ち勝つ場面が書かれています。

7例えば、イエスが神であることについてはマルコの福音書1章2-3節、ヨハネの福音書1章18節、20章28節、ローマ人への手紙9章5節、10章9-13節、コロサイ人への手紙1章15-20節、2章9-10節、テトスへの手紙2章13節、ペテロの手紙第二1章1節を参照。イエスが人であることについては、ヨハネの福音書1章18節、テモテへの手紙3章16節、ヘブル人への手紙5章7節、ペテロの手紙第一3章18節、ヨハネの手紙第一4章2節、ヨハネの手紙第二7節を参照。

8例えば、ヨハネの福音書8章58節でイエスは、出エジプト記3章14節に書かれている神の名を自分に当てはめています。またヨハネの福音書10章11節では、エゼキエル書34章に書かれている「神が自分の民の牧者となる」という約束はイエスのことなのだと言っています。さらには、ヨハネの福音書10章30節。

9イエスの復活についてのよくある誤解への回答:

イエスの復活は肉体的なもので、幽霊や霊として復活したわけではありません(ルカの福音書24章36-47節を参照)。

イエスの復活は概念的なものではありません。イエスの弟子たちは、たとえ話や言葉の表現として復活を伝えたわけではありません。弟子たちは、イエスが歴史上の事実として、実際に死から復活したと伝えています。

イエスの復活は永久の復活です。イエスは復活した後にまた死んだのではありません。イエスによって死は打ち破られ、新しい創造が始まりました。

10使徒の働き1章1-11節、またステップ4